一九四七年(昭和二十二年)秋に起きた山口良忠判事の事例である。国土は焦土と化し食うに物なく、敗戦のショックで人々の精神は荒廃しきっていた時の出来事である。山口判事は当時食糧管理法の判事をしていた。その頃、乏しい食料は国家により管理され、家庭には配給制度によってのみ供給されるのが建前であった。しかし、その配給で受けることのできる食物の量はあまりにも少なく、それだけに頼っていては悪くすると餓死せねばならなかった。特に都市の住人には過酷であった。人々は食糧管理法の網の目をくぐって、闇の食料を求めて農村などへ出かけた。官憲は食糧管理法の手前それらの行為を取り締まった。その取り締りの網にかかった人々を裁くのが山ロ判事の役目であった。
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