1980年代に入ると、本格的な宣伝合戦が始まった。各サロンは派手な広告を打ち、ちまたには誇大広告があふれかえった。そのうち出版社側が自主規制基準を設けるようになり、あまりにえげつない写真や「絶対」「最高」など最上級の表現を使った広告は排除されていき、代わってイメージ広告が台頭してくる。『たかの友梨ビューティクリニック』に大きな転機をもたらしたのも、広告であった。それは松田聖子のCM起用だった。「聖子のエステ休暇」の広告が登場するやいなや、問い合わせの電話が3倍に膨れあがり、売上が倍増した。「エステ」がフツーの女の子に急激に身近なものになっていき、同時にエステ=『たかの友梨ビューティクリニック』というイメージも定着していった。そのころの聖子といえば、結婚、出産、育児をへて、ブティック『フローレス・セイコ』を興し、単身でニューヨークへ。片や「鬼母」など反発の声も強い「ママドル」聖子を、たかのは意識的に選択したのである。
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PMKエステサロン仙台店